新しい生活や住まいの追求の背景には、一九〇〇年代からの急速な都市人口の増加が作用していた。都市人口の増加は、絶対的な住宅不足を引き起こし、住宅不足に直面していた中流層の人々は、知的階層ゆえにそれまでの和風の借家では満足できず、時代に合う新しい住宅の出現を待っていた。そして、よりラディカルな人々は率先して自ら理想とする自前の住まいづくりを始めることになる。政府も、こうした動きに連動するように、一九二一(大正一〇)年には住宅組合法を公布する。これは、住まいづくりの資金を低利で貸し与えるもので、戦後の住宅金融公庫の前身といえる事業の始まりでもあった。そしてこの方策こそ、実は中流層を対象とした持ち家政策の開始を意味していたのである。このように、一九一〇年代には、明治以降の洋風化の浸透もあって、新しい住まい・新しい生活の必要性が高まり、住まいも借家から持ち家へと、人々の意識は大きく変化し始めていた。
七条の賃貸・部屋探し情報
鹿島田の賃貸・部屋探し情報
鹿児島市の新築マンション
蒔田の賃貸・部屋探し情報
地下鉄名城線の新築マンション